つらつら綴るパルテン雑記

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送ること、受け取ることの難しさ

どうもパルテンです。

最近暑さが日に日に増してきておりますね。

自分の仕事は早朝なので、幾分かましですが、それでも時間が経つと日差しの強さに身体が溶けてしまいそうな感覚に陥ってしまいます。

もと引きこもりに、強い光はいけませんって……。

そんな極熱な陽の光が降り注ぐ七月下旬。関西ではこの時期にお中元を送るそうです。

昔の自分は、このような古い習わしは面倒で鬱陶しく思っていた人間ではあるのですが、最近はこのお中元というシステムを良風ではないのだろうかと思い始めました。

相手のことを互いに思いやり、息災の確認を兼ねて物を送り合う。それも派手な贈り物でなく、慎ましやかで細やかな贈り物。侘び寂びのようなやりとりであります。

いやはや、実に日本らしくて素敵です。

しかし、このお中元というシステムは徐々に失われていってるらしく、少し勿体無いなあと感じた次第なんですよね。

そういうわけでして、今回は「送る、受け取る」をテーマに書こうかと思います。

 

さてさて、この送るや受け取るということに深く説いているのは、自分の知る限りでは布施になりますでしょうか。

布施といえば送ることが重要であると思う方が多いと思いますが、仏教では受け取ることや、その贈られる品物も重要であると考えらています。

上記三つが清浄であったときに初めて布施となり、これを三輪清浄の布施などとも言われているようです。

これはつまり、一方的な送り物になっていると布施になりませんよ、ということだと思います。解釈違いであれば申し訳ないです……。

 

一方的な奉仕ではなく、真に相手を思い遣り、真に相手が欲しいものを、適切なタイミングで送る。そうしたなら、相手も素直に贈り物を受け取ることができる。これで初めて布施になるのだと。

普通の心理では送る側ばかりに目が行きがちですが、受け取り側の心のありようを説くというのは驚かされます。これは胸に留めておきたい。

 

ですが、これは言うが易しで、清浄な布施というのは大変に難しものとなっております。というか、相手が心の底から欲している物なんてそうそう分かるものではありません。

とあるお坊さん曰く、布施が上手な人というのは、受け取ることも上手であると言っておられました。

これは、送る側の難しさを知っているから、受け取ることができるのだとか……。

送り手は、物を渡しただけで満足せずに、受け取って喜んでくれたことにも感謝しなけりゃいけないんですよね。

本来、贈り物とは難しいことなんです。

 

ただ、その贈り物もタイミングが指定され、送る物もある程度絞れているのであれば、清浄な布施になり易いとは思いませんか?

一定のタイミングであれば、受け取る準備ができますし、来る物が予想できればその物の有効な使用方法も予測できます。

それが誕生日やら父の日母の日やらの記念日に該当するのですが、お中元も同様なんですよね。

 

本当の贈り物ができる日などそうそうありませんし、皆さんも、お中元を送る相手がいれば、これを機に送ってみてはいかがでしょうか?

良い種蒔きにもなりましょう。

 

 

 

 

 

え? 自分ですか?

自分は送りませんけど?

だって自分ぼっちですし……。送る相手もいませんし……。もと引きこもりですし……。

 

 

 

 

……

…………。

ご、ゴホン! 

まあこれを見て頂いた皆さんも、今後は送る時も、受け取る時も、相手の気持ちを察してあげると、相手とのよりよい関係を築けるかもしれません。

それと、送る相手がいることにも感謝して頂けるとよろしいかと……。

 

ではでは、今日はこの辺りで終わろうと思います。読んで頂きありがとうございました。